だいばにっき

嗜好品と思いつきに揺られて

思月園「若菜」「茂二号」

 

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[若菜]

データ

種類: 煎茶

産地: 

品種: 

購入店舗: 赤羽、思月園

入手時期: 2017年6月上旬

 

 

淹れた方法

急須: 常滑

湯温: 75℃くらい

一回の茶葉量: 3gほど

一煎の湯量: 60mlほど

 

 

[個人的な感想]

若菜は思ったよりも茶葉が細かく、セラメッシュの急須では淹れづらかった。今まで飲んでいた九州系のお茶に比べると、渋みがしっかりしている。低い温度で入れれば旨味も前面に出る。香りは青く、初夏の朝にぴったり合っていた。

 

[付記]

思月園店主によると、「茂二号」の「茂」は、生産者のお名前らしいです。これまでは他の品種のお茶にブレンドされていたが、今回は単品種で出してみたとのこと。

言語化が苦手な話

ぐるぐる悩んでいるのか悩んでいるふりをしているのか自分でもわからないまま、暖かい日向で冷たい風に当たっています。 

もう、すぐそこに春がいます。鼻先をくすぐる風にすこし照れ笑いしていると、とつぜん頭の中で「さくらいろの季節」が流れ出してしまう頃。

 

ところで、最近気づいたことがありました。僕の思考は不完全なまま進むことが多く、何かわかった!と自分が感じたとしてもそれを言語化できないことです。

視覚的イメージと感触、それだけが僕の頭を走り抜けては消え、消えてはまた呼び起こされる、というような具合です。まるで春の睡魔のなかに一年間がすっぽり収まってしまったような生活を送っています。おそらく人の心の声が聞こえる超能力者がいたとしても、僕の心に声はほとんどありませんから何も問題なくポーカーを楽しめるでしょう。

 

君、どう思う?とか意見を求められた時にはもう、頭のイメージを一つ一つ言葉に翻訳して、つなげてみることしかできません。往々にして支離滅裂、何が言いたいのかさっぱりわかりません。

 

今自分で書いていても何が伝えたいのかわかっていません。きっと伝えたいことなんてないのかもしれません。

文章を書くとその文章に自身の思考がつられていくのを、ただ楽しんでいるだけなのかもしれません。

武蔵野茶工房「狭山茶」

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データ

種類: 煎茶

産地: 埼玉県

品種: 不明

購入店舗: 不明

入手時期: 2017年2月下旬

 

 

淹れた方法

急須: 天草磁器

湯温: 75℃くらい

一回の茶葉量: 3gほど

一煎の湯量: 50mlほど

 

 

[個人的な感想]

甘みより渋みが前にでている。まろやかではあるが口に残る印象。

入れ方にもよるが、香りは少なめ?熱いお湯で入れれば香ばしさが際立つのかもしれない。

 

[付記]

頂き物。100g500円くらいと聞いた。

湯布院麻生茶舗「煎茶 特上」

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データ

種類: 煎茶

産地: 九州(ブレンド)

品種: 不明

購入店舗: 湯布院の土産屋

購入時期: 2017年2月ごろ

 

 

淹れた方法

急須: 常滑焼き

湯温: 80℃

一回の茶葉量: ??

一煎の湯量: ??

 

 

[個人的な感想]

九州のお茶に共通するものなのかもしれないが、優しい口当たりである。渋みは抑え気味で、甘みが強いように感じる。

香りに若葉っぽさがある。香ばしさはほとんどない。

ブレンドしているためか、茶葉の大きさは不揃いに見える。

 

[付記]

お土産。100g1000円位のもの。

2016/11/11の断想

東京と過去と坂(オチのない話)
 
僕の故郷の街には、さびついた商店街があります。僕が小さな頃には既に店店にはシャッターが降りていて、唯一開いている駄菓子屋に行っては1つ10円のきなこ飴をわくわくしながら食べたものです。
 
大学に入ってからは東京に住むようになりました。
そこには僕の想像通り、ガラス張りで背の高い、スカした面もちの建物や、煉瓦づくりのどっしりした建物(内田ゴシックに憧れていました)がいくつもいくつもありました。そして何より、活気のある人々がいました。
 
驚きでした。どこにいっても人がいるのです。脇道の奥にある喫茶店のソファにも、コンクリが入り組んだ駅のじめじめした地下道にも、だれかがいます。もちろん、商店街にもたくさんの人が買い物に冷やかしに歩いたり止まったり、時々話したりしていました。
 
こんなに人がいるので景気が良いのか、商店街にシャッターが降りるのは夜だけで、立ち並ぶ凝った街灯に明かりを頼りながら、店店の店員が片付けを急ぐ様子をよく見たものです。
 
そんな商店街を歩いていると、ふと故郷の商店街が浮かぶのです。そして、過ぎてしまった年月、商店街の活気とその衰退の姿の間にある錆ゆく年月を感じるのです。
東京は時間が止まったままのような街路が沢山存在します。昭和のある日に街をそのまま大きな瓶に詰めて、しっかり蓋をして納戸にしまっていたけれど、今日パコンと蓋を開けました、というような、そんな空気を感じます。その瓶はベニヤと微かな排ガスの匂いがします。
 
そんな商店街で過去をひとしきり堪能したあとは、山手線に乗ってぐるぐると、時間と空間の起伏を楽しむのです。
 
ところで、僕の故郷には坂がありません。この山脈国にありながら、最も平坦な土地が続くところです。ときどき遠くに見える水色がかった山々は、ある種の蜃気楼のようなもので、いくら歩いても近づくことはありませんでした。
 
東京には坂があります。それは太古の昔に海があった名残であり、ゆるやかな坂にへばりつくように家々が並んでいます。
 
そんな中で暮らしていると、坂によって変わる景色、時々急に視界が開け、西の山脈に朱色の鮮やかな雲が遠く流れているのが見えます。そしてその山脈の暗い陰の手前には、池袋か新宿のビルディングが、自身の四角い明かりに夕日の欠片を反射して、静かに光っているのが見えるのです。

zenfone3 laserが電波を掴まない話

simフリー端末zenfone3 laserを購入しました。

4日後に電波を掴まなくなりました。

メーカーに「simは認識するがモバイル通信ができない」旨を報告、再起動やAPN設定のやり直しも効かないと連絡。

その返信、まさに機械的。

「お客様が仰った現状につきましては、下記方法をご参照いただき、ご確認いただければ幸いでございます」とAPN設定と再起動を推奨されました。

 

壊れた機械は嫌いなのです。

2015/9/29のメモ

語彙力テストの選択肢を見てから、
右、を定義するのに苦心する岩波の話も見て。

 

言葉の辞書的な定義は、実際の用例、膨大な数の用例から本質(であると思われること)を抽出しているだけなので、これが正解、ということは言えないのではないか?
ただし、外来語の翻訳語や専門用語にはかなり明確な定義が存在することがあるため、左様な場合にはテストの正解が存在するとも言えるのであるが...
そのほかの場合では、各出版社が映し出した言葉のスナップショットはどれも似通っているのと同時にどれも違うということがあるので、辞書を指定せず正解を設けてる時点でナンセンスと言わざるを得ない。